《映画感想》こんなに大事な映画になるなんて、、、『彼女が好きなものは』
『ラストナイト・イン・ソーホー』で精力を全部抜き取られ、疲れきってしまった私ですが、今日はもう一本観ると決めてたので、観てきました!『彼女が好きなものは』です!!
NHKで『腐女子、うっかりゲイに告る。』のタイトルで放送されていた作品で、原作は『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』というタイトルです。“ホモ”という言葉のせいなのか、映像化でコロコロとタイトルが変わってますね…。
自分は、NHKのドラマを観ていたのですが、集中力が続かず、途中で断念してしまいました…。それも結構序盤で。
ですが、今作の予告を観た際に、やっぱり観たい!となってどうにか観てきた次第です。
本日2本目の映画で、おまけにレイトショーなので夕食代わりにコンセッションでディナー。私の最近のお気に入りは、TOHOシネマズのタンドリーチキンとキャベツのトルティーヤサンド。
これムチャ美味しいんですよね。
究極脱線しましたが、こっから感想書いていこうと思います。
不器用なゲイと腐女子の青春パートが可愛い。
序盤、自身がゲイであることを隠す安藤に、BL本を買っているところを見られてしまった三浦が、彼の口を封じるためにBLの世界に連れ込もうと画策するうちに段々と自分の恥ずかしい面も嫌とは思わない彼に対して、三浦が好意を持ち始める。そこから、叶うはずがない恋の一方通行が始まるわけだが、ここがとにかく高校生の甘酸っぱさ全開。
達観してあるように見えた安藤も、ゲイ隠しの意味もあるが、彼女の好意に親身になろうと努力したりするのがとても良い。
山田杏奈の落ち着きのないオタク語りの演技がリアルで、それに冷静にツッコミを入れる安藤という構図が様になり過ぎてて、十分お似合いじゃんとか思ってしまった。
でも、それは安藤には色々と葛藤する面が多かったんだろう。
自分のマイノリティを隠すこと
三浦だが、普通の可愛い女の子ではあるものの、実は中学時代にBL好きの腐女子だと言うことが学校でバレて、イジメを受けていたという過去が途中明かされる。
そのことから自分の好きなこと、本当の姿を隠すようになっていた。確かに自身のセクシャルほどではないにしろ、やはり周囲の“普通”ではないマイノリティは共同社会の中では嫌悪の対象になってしまうのだ。
私も劇中の2人ほどではないが、高校生の頃、人生で初めてアイドルというものが好きになった。今では誰もが知っていて、好きと言っても納得させるような、乃木坂46なのだが、その頃はまだ今ほどの知名度はなかった。
そして、自分自信周りの人間がAKBやももクロを好きなことを少し引いた目でみていた。だからこそ、乃木坂46にハマり始めた時にアイドルオタクと偏見の目で見られるのにすごく抵抗があった。けれども、隠しきれなくなり、当時一番仲の良かった友人に話した時に、「なんだ〜、もっとゲスい名前が出ると思った」と言われてしまった。
BLはもう少し際どいラインだと思うし、男のそれと女の子の生きている弱肉強食の世界はまた全然違うのだろう。
これがセクシャルなことではレベルが違うことなのだ。
ここでわかるのが、自分のホントを晒せる人がいるかどうかで人は変わってくるということだ。
例えば、三浦にはBL世界の師匠がいて、途中から安藤がいた。安藤には不倫男の彼氏とチャットで繋がっている相談相手のファーレンハイトがいた。彼彼女らはそこで溜め込まない制御が出来ていたのだ。
それに対して、ファーレンハイトは安藤にゲイであることは打ち明けていたが、自身が年上の彼氏のいる大学生だと嘘をついている中学生男子だったということが後々わかる。彼は中盤、その若い命を自ら絶ってしまう。家族に相談したが、病気と言われて彼が望んだ受け入れ方をしてもらえなかった。故にSNS上でも自らを偽ってやり取りをしていたのだ。
彼は本当の意味で、本当自分を曝け出す相手がいなかったため、溜め込んでしまったのだ。
やっぱり人間は1人では生きていけない。
ファーレンハイトの死は、そう感じさせるシーンだった。
偏見がないなんて、口でならいくらでも言える。
ゲイだと言うことが学校中にバレてしまった安藤。クラスメイトや学校の生徒たちは噂を吹いたり、いつもとは違う態度を取ったりし、安藤は窓から落ちて命を絶とうとする。
その結果、学校中の各クラスではセクシャルに関するディスカッションの授業が設けられるというシーンがある。
ここで生徒からあがる声は、「最近は有名人でもカミングアウトしている人が多い」「創作物で観ているから偏見はない」など。でもそれらはどこか他人事のようなのだ。
安藤がゲイだとわかって登校してきた時はあんなにだったのに。
と、生徒たちに対して俯瞰していたが、それをスクリーンで観て思っている私も同じだと思った。
アメリカのドラマ『glee』では、キャラクターやキャスト自信がLGBTであることも多いことからLGBTのことが多く取り上げられていた。
私は学生時代『glee』が大好きで、全話追っていた。それゆえに周囲にLGBTの人がいたとしても動揺しないし、今じゃ当たり前だとすら思っている。
しかし、今作のディスカッションシーンを見て、もしかしたら自分も全くの差別意識ない人間だと錯覚している人間なのではないかと。
実際、友人や知人にLGBTの人がいるわけではない。そこに確証なんてないのだ。
画面越しに、フィクションを観てわかった気でいる自分が恥ずかしくなった。
性的対象とかを越えた二人の絆
終盤、自身の作品の表彰式に安藤を招待した三浦。彼女はひた隠しにしてきた自身のBL好きを、全校生徒の前で熱く語り、マイノリティについて生徒たち、そして安藤に訴えかける。
最後、感情を出し過ぎたあまり泣き崩れる彼女にそっと寄り添う安藤。
この二人の性別や性的対象なんかを超えた助け合いの関係に凄く心揺さぶられた。
そしてラスト、安藤の転向を機に別れた二人。
離れていても寄り添い合う関係でいてほしかったなぁ…と思ってしまった。
まぁ、あの感じでは、会わないようになるんだろうと思う。
観る前までは、今作がこんなに自分の中で大事に思う作品になるとは思わなかった。
これからの社会、もっとLGBTに理解のある人が増えるにはどうすれば良いのだろう。そんなことを考えさせられる映画だった。
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